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真っ白なものは

9枚目シングルの撮影の時、メンバーの持つ風船が、空高く飛んでいった。それを見て「ああ、あれは平手友梨奈なのではないか」と思ったのだ。

この映画を見ても、彼女たちの考え方やグループの見方が分かるわけではないし、なんならずっと分からない。ただ、今まで欅坂46を「平手友梨奈ありきのグループ」として見ていた私にとっては、そのくらいがちょうど良かった。

※以下、ネタバレ含みます。大丈夫な方のみご覧ください。あくまで個人的観点から見た欅坂46になりますので、批判は受け付けておりません。あと印象に残った部分から書き出しているので、見にくいです※


初期の頃の平手(今後全メンバー敬称略)の横には常に誰かがいて、笑顔で、和気あいあいとしていた。セゾンの時まではそうだった。不協和音の時期、平手の横にいた菅井友香も長濱ねるも、彼女と目を合わせることが出来なかった。平手は、欅坂と距離を置くことにした。

『みんなは今欅坂をやってて、楽しいですか?』

そう投げかけた彼女はきっと欅坂が好きなんだと思う。だから彼女は自分自身だけが目立ってしまうグループにしたくなかった。欅坂というグループをもっと上にあげたかった。そういう思いを感じた。映画の後半には一人一人に「一緒にできない」という報告をしながら抱きしめている姿もあり、私が前まで思ってた子とは違った。

彼女自身、真っ直ぐだった。そして真っ白だった。それを汚したのは、メンバーでもなく、スタッフでもなく、きっと、彼女たちが歌う「大人」の声、「世間」の声だ。

この映画を通して「彼女たちはずっと真っ白だった」と思った。各々バラバラに見えていた欅坂、それぞれが何を思い、何を感じ、どうすればいいか、苦悩していた。等身大のメンバーがそこにはいた。

ステージに上がる前、メイクを直されながら彼女は譫言のように「いやだ、いやだ」と繰り返した。しかしスタッフは手を止めない。そして「あと20秒!」「とりあえず移動!」と声が飛び交う中、彼女は操り人形の如く、スタッフに運ばれ、流され、ステージに「立たされた」。

そうだ。私達もスタッフも知っている。

彼女は1度ステージに立ってしまえば、最高で最強で誰も真似出来ない、素敵なパフォーマンスをする。それが彼女自身の強みでもあり、きっと。

緑のペンライトの海の中、センターステージに立たされた彼女は、見世物小屋に間違って入ってきた少女のように立ち尽くす。

音が流れるとそれに合わせてしなやかに踊り、歌い、表情を変える。そこにはもう、あの時CDショップの外回りで緊張していた彼女の面影は、無い。

歌い終わると、「ありがとうございました」と一礼し、去っていく。

彼女は、彼女自身の嫌う大人によって、ステージに立たされているように見えた。もはや何の意思もない、人形のようだった。

「らしさって一体何?あなたらしく生きればいいなんて、人生が分かったかのように上から何を教えてくれるの?周りの人に決めつけられた思い通りのイメージになりたくない」

大人たちに運ばれ、立たされたステージで彼女はそう歌った。それ自体が、もう辛く見えた。

不協和音のMV撮影時、小林由依が転んで足を怪我した。その時、みんなは駆け寄り、声をかけた。その奥。フォーカスの合っていない彼女は、どんな気持ちでその光景を見ていたのか。

黒い羊のMV撮影時、最後までやり切って倒れた平手にみんなが駆け寄り、座りこみ、声をかけた。その中。たった1人立っていた鈴本は、どんな気持ちでその光景を見ていたのか。

私がずっと前にnoteに書いたように彼女たち自身が1番「平手がいないと困る」と思っていた。てちがいないライブ、お客さんの動揺が伝わってきて満足のいくライブが出来なかった。平手がいないだけでこのグループは崩れてしまう…━━━

「みんなで崖にいる感じ」「手を繋いで、あと一歩動けば…」石森はそう言った。ただ、ファンはその危うさがきっと好きで、世間はその危うさを野次馬精神で見たくなるのだ。

初めて選抜制度になった時。「私たちは全員で戦ってきたから」「なんでこの子が落ちるんだろう。冬優花が今までダンスをまとめてきたのに、とか」

前までは「やっと欅坂も選抜か」と思ったけど、今は違う。「彼女たちは全員で戦わないと勝てなかった」のだ。だから選抜制度ではなかった、そう思うのが自然だった。そのくらい、彼女たちは常に目の前の壁に苦悩していた。

小池は自分が二人セゾンのセンターを務めることに不安を感じていたが、「平手が儚さなら、私は元気というか、秋と冬なら私は春と夏みたいな」というようなことを語っていた。その後のライブ映像では、きっと平手には出来ないであろう二人セゾンをパフォーマンスしていた。

鈴本美愉はアンビバレントのセンターを華麗にこなして、菅井友香は全身全霊で不協和音を、小林由依は楽しそうに風に吹かれても、を。

代理センターを立てない理由も納得した。守屋茜が語っていた「平手だからバックダンサーでもいいと思えた。それを他の子がするのは…」その考え方はなかったから、目からウロコだった。

彼女はそれぞれ、自分たちの気持ちに対して真っ直ぐで色んな想いを抱きながら「欅坂46」を作ってきていた。

彼女たちは、はじめから、真っ白だったのだ。

それに色を、汚れを付け出したのは、彼女たち自身でも、スタッフでもない。

私たち一人一人の、世間の声だ。

彼女たちに「笑わないアイドル」のレッテルを貼り、

毎シングルごと、期待した。

他の誰でもない

平手友梨奈のパフォーマンスを待っていた。

彼女がライブに出ないことを、ある人は心配して、ある人は傲慢と、何も知らないのに、勝手に推測した。

彼女達を汚したのは、私たちだ。

彼女はずっと、真っ白だったのだ。


「大人の責任ってなんですかね」

「見続けること。点ではなく、線で」


あなたは。彼女たちのことを。崩れていく彼女たちを。

でも私たちファンは、変な推測で直ぐに動いてしまう。きっと新たしくなった彼女たちにも何かしらの色を、汚れを付けてしまう。


ああ、だって。

「真っ白なものは、汚したくなる」んだから。

一度だけでいいから、一斉に口をつぐんでみんなで黙ってみよう。そして彼女たち28人の行く末を、見守ろう。

鐘を鳴らすのはファンでも誰でもない、28人の真っ白な女の子たちなんだから。

2020.9.16


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