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背伸びした景色

私はかなりインドアだ。
29年間生きてきてアウトドアだったことはこの2年間くらいだろう。

しかしそんな私だが、一年に一回くらいは本州に降り立っていた。

初めて一人で東京に行ったのは20歳の時。
西武ドームで「乃木坂46 3rd Year Birthday Live」があり、それのために遠征したのだ。

本州に来たのも専門学校の就活で他の生徒と大阪に来たくらいで本当に緊張したし、今でも西武ドームの寒さや、手のかじかんだ感触すら覚えている。

そして何より、山崎怜奈ちゃんが研究生から昇格した瞬間も、鮮明に覚えている。
私の声は人よりも小さいし、通らない。
でも私はその時の持てる限りの力で「れなちおめでとう!」と叫んだ。

それからは握手会で幕張メッセ、横浜、京都を訪れた。
その度に一人で色んな観光地を見て回った。
一人なのは単純に周りに握手会に行くほどのオタクが居なかったのだ。
あと人見知りだからだ(こちらの方が大きな要因)。

東京で一人で浅草寺に行って帰り道が分からなくて泣きそうになりながら駐車場のおじさんに道を聞いたり、横浜中華街で熱々の小籠包を食べたり、京都では(奇跡的に存在した)友人と一緒に二条城に行ったり。

多分山崎怜奈ちゃんを知らなかったら、どこも行ってないと思う。
いや、いずれかは行く機会があったかもしれないが、一人では行くことは無かったと思う。

そして何よりも、山崎怜奈ちゃんのおかげで沢山ファンの人たちとも関わることが出来た。
年齢も性別もバラバラな人たちとお会いして、れなちさんの好きところを沢山話し合って、お土産を交換したりTwitterでも絡んでくれたり。

それは乃木坂ではなくなった今でも続いている。

だから山崎怜奈さんは、私にとって色んな景色を見せてくれた人なのだ。
自分がもっと色んな場所に行きたい!だとか、色んな人と仲良くなりたい!と思ったりだとか、そういう変わるきっかけを沢山くれた人なのだ。

自分は山崎怜奈ちゃんを見つけることが出来てとてもラッキーだったなと思う。
こんなにも色んな景色を見せてくれる人を、色んな気持ちを与えてくれる人を好きになれて、とても幸せだ。

そしてきっとこの先もそう思わせてくれるであろう山崎怜奈さんが、とても大好きだ。

「推し」という言葉を使って良いのか未だに迷いどころではあるが、それ以外の言葉が私の語彙にはないから、これからも「推し」と呼ばせてもらいます。

山崎怜奈推しって、楽しい。

みんなが今、誰を好きで、誰を推しているのかは分からないけど、少なくとも5月21日はみんなが集まる日。同窓会みたいで、楽しい。

私は初めて一人で参加していた握手会でれなちレーンに並んでいた時に、知らない人に声をかけられた。

「れなち推しですか?今、生誕委員募集しているので良かったら」というようなことを言ってくださった。

その時に(ああ、れなち推しの人たちは優しいんだな)と思った。

それから見知った人とレーンで会うとお互いに挨拶し合ったり、お話したり、凄く居心地の良い場所だった。

だから私は山崎怜奈さんはもちろんのこと、山崎怜奈さん推しのことも大体好きだ。

身内感、と言われればそれまでだが、一人だった私にとってそれが心地良かったのだ。

ここまで長々と書いてしまった。
長文を書く癖は治らないようだ。

ただ要約して伝えたいことは「今も昔も山崎怜奈さんが笑顔で幸せで自分らしく活動を続けられることを切に願っている」ということと「山崎怜奈さん推しの皆さんもそうであって欲しい」ということだ。

たったこれだけの、1ツイートで収まるような内容を1464文字で書いてしまったが、まだ色々書きたいことはある。

とりあえず今日という日が皆さんにとって良い一日になりますことを。

🕊‎🧭

2023.5.21 ちゃんばぁ

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